太陽の画家 三谷祐資の絵画


地球温暖化防止に向けて For prevention of global warming

  地球の温暖化が今ほど騒がれていない20年程前、富士山から東北の十和田・奥入瀬まで、1ヶ月かけて海沿いを描きながら旅した事があります。9月の中頃に富士を出発し、10月中頃に奥入瀬に着く予定でありました。その時の紅葉が、みずみずしいはずであったのが、陽の良く当たる所の葉っぱの一部が茶褐色になって・・・

美しい日本の心・富士山

  「富士は日本一の山」という歌がありますが、子供の頃はよく歌っておりました。今はどうでしょうか。高さはそうですが、日本人の心の山であります。戦後の高度成長で経済活動が盛んになり、ゆっくり眺める事も少なくなったのではないでしょうか。便利になればなる程忙しいのも不思議な事です。

自然について

  随分と合理性の元に失われるものも多く、自然を考えなくなったのが、自然と人間の関係をおかしくしている原因だと思うのです。特に日本人は豊かな自然の中に住み、四季折々の美しさや季節の移り変わりの中に「もののあわれ」や美しい情緒や繊細さを持ち、古来様々な世界にも誇れる文化を持っていた民族だと思うのですが・・・

自然と風土

  20代に読んだ和辻哲郎の「風土」がやはり衝撃だった。日本とヨーロッパの違いなど、文化の違いくらいしか考えなかったというより西洋の美術・絵画を学ぶのが精一杯で、まして風土を考える余裕などなかった。その事で後程、油絵から遠ざかる事になるのだが。

自然に対する覚悟

  司馬遼太郎先生の貴重な話があります。フランシスコ・ザビエルの話ですが、先生が取材でザビエルの生誕の地スペインに向かわれた時、「私共は飛行機で一気に飛び、しかも大気を汚して行く訳ですが、ザビエルは帆船でしかも命がけで日本まで布教に来た訳です。」そのことを想うと、私共は何と罪の重い人間なのかと感じられたと、要約するとそのような話です。

宗教と風土

  太陽の取材等で色々な国に行って感じる事は、宗教は風土によって育てられ根付くという事です。宗教はいつの時代にも必要だと思います。宗教を必要としない方もおられますが、それは儀式的なことで人間から宗教心を抜くとただの動物になってしまうそうです。

朝日・夕日の取材について

  朝日の取材は特に大変である。家から出かける範囲だと朝の2時起きの時もある。ただ偶然に気の向くまま行けば良いというものではなく、まず調べられる範囲はそれまでに方々の手を使いながら、おおよその当たりは付けて地図を頭に入れて、朝日の方角を考えながら鳥瞰図的に考える。自然の中には山あり谷ありと制限があり、その事も考慮に入れながら、常に天気図を考え最後には勘である。

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