太陽・月・自然を描く洋画家 三谷祐資の絵画


自然に対する覚悟

  司馬遼太郎先生の貴重な話があります。フランシスコ・ザビエルの話ですが、先生が取材でザビエルの生誕の地スペインに向かわれた時、「私共は飛行機で一気に飛び、しかも大気を汚して行く訳ですが、ザビエルは帆船でしかも命がけで日本まで布教に来た訳です。」そのことを想うと、私共は何と罪の重い人間なのかと感じられたと、要約するとそのような話です。私も同じですが、取材の為とはいえその事に値するのか、という気持ちはとても大切な言葉で、私も大気を汚す事は極力少なくし、この言葉を座右の銘にして、感動を伝えられる仕事をしなければと改めて想います。
  それから松島に行った時ですが、松島を見下ろす高台に「西行呼び戻しの松」があり、案内板を見ますと、「西行は松島まで来て松島を見ずに去った」とあるのです。その当時ですから徒歩の旅ですが、ここまで来て、さあ夢にまで見た松島の景色を眺めようとした丁度その時、牛飼いの男が牛を引きながら歌を詠むのですが、その歌は牛飼いの男が作った歌ではなく誰か先人が作った歌でしょうが、今はどのような歌かはわかりませんが、自分はその牛飼いの男の歌った歌にも劣っていると感じて、見る資格も無いと松島を見ずに去ったという事です。何という覚悟かと心打たれます。
私共は今は電車か車で行く訳ですが、余りにも目まぐるしく心がついて行かない状態です。本当に奥の細道などを味わうには、汗を流して無になって歩くことでしょう。そうしていると、自然に私共も芭蕉や西行になれるものではないかと思う時があります。もっと若い頃は電車も使いましたがリュックを背負い、てくてくとよく歩いておりました。野宿をした事もあります。そうして自然の中に抱かれ、自然と牛飼いの男ではありませんが、奥の細道を歩いているといつしか芭蕉になっているのです。
スローでないと、日本の素晴らしい美しい情緒は本当の理解は出来ないし、自然の中に入っては行けない。真っ暗な夜道や何が出て来るかわからない、恐ろしい時もありますが、その時の覚悟というものが必要だったと思うのです。そして和らげてくれるのは、自然に抱かれているという気持ちです。 

  最後に、自然や風土と人間とは表裏一体であり、人間の乱れる時は自然も乱れ、災害や不安が広がり世の人の心も乱れ、美しい情緒を感じる間も無く弱肉強食の無責任人間を生み出す昨今、国家の品格まで失いかねません!
以前読んだ本に「国家の品格」というベストセラーがあります。その中で「美しい情緒やもののあわれや日本人の持つ良き繊細さ」など日本人の特性が書かれていて、何かを見失った日本人のバイブルにしたいと思いました。そして武士道精神についても興味深い話が書かれていて、日本人の失った精神の多さに改めて考えさせれられます。そして日本人の倫理観を述べておられ、ぜひお読み頂きたい本であると思います。


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