太陽の画家 三谷祐資の絵画


宗教と風土

  太陽の取材等で色々な国に行って感じる事は、宗教は風土によって育てられ根付くという事です。宗教はいつの時代にも必要だと思います。宗教を必要としない方もおられますが、それは儀式的なことで人間から宗教心を抜くとただの動物になってしまうそうです。
  エジプトからイスラエルまで新約・旧約聖書の舞台を歩いた時ですが、灼熱の砂漠ではイエスかノーか即断で決めなければ生きてゆけない過酷な地で、年間の雨もほとんどありません。そんな地からユダヤ教が生まれキリスト教・イスラム教に別れ、同じ兄弟ですが今は争いが絶えません。いかに元に戻す事が難しいのかを物語っています。
日本のような八百万の神が生まれなかったのは、自然が豊かでなかった事と、生死を分ける過酷な地では一神教でなければ生き延びることさえ出来なかったからではないでしょうか。日本人のように朝日を再生と感じることも無く、灼熱の太陽は死さえ意味しますから、聖書での一日の始まりは日没、つまり夕刻が一日の始まりなのです。
どうしても荒々しく、食べる事を申しますと、羊を主食としますから、羊を食べる為にもどの羊にするかはっきりさせねば、日本のように曖昧である事は許されませんし、一神教の契約ですから他の神は許されません。これが根本で今も流れているようです。
  インドで生まれた仏教もなぜインドで広まらずに日本やその他の地域に根付いたのかと考えますと、仏教の戒律が風土においては厳し過ぎたのかではないかと思います。それより今のインドはヒンズー教徒がほとんどですが、暑過ぎる国では生きる事さえ過酷で、生殖の神を主とする大らかな神が風土に根付いたのではないでしょうか。
  シルクロードを通って入った仏教も、時の権力と結びついて広まって行ったのですが、権力が無ければ仏教が入らなかったかもしれません。それ以前の神道においては、入る余地もなく、世の乱れに乗じて必要となった事ではないでしょうか。それが日本の風土の中で互いの守りとして発祥してきた
  日本には八百万の神、全ての中に神があり、豊かな自然の中でこそ芽生えた湿潤な教えかと言えますが、神が自然を創ったのか自然が神を創ったのか別にしましても、全ての中に神が存在する教えである事に変わりはなく、一つ一つの神に感謝申し上げていたら一日では終わりません。結論として、全ての事に感謝しましょうという事ではないかと思うのです。
  自然との共生が地球上で言われておりますが、日本で京都議定書を作りリードしていくのは、技術面でも優れている事もありますが、元々日本人には自然神・八百万の神が内在していて、西洋的に自然を征服する時代が終わり、自然と共にある日本的な考え方の時代を迎えているからではないでしょうか。これは好む好まざるの問題ではありませんし、貢献しなければ生き延びる事も出来ません。自然の流れなのです。

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